昨年、我が家に届いたメロンヘルメット。
軽くて、丈夫で、格好いい。
購入した当初は、「こどもを自転車の後ろに乗せて走る」という目的で購入しました。
幼稚園への送り迎え、近くへのお買い物。
自転車でおでかけするときは、いつも一緒。
けれど息子も大きくなり、いよいよ自分の自転車を購入して、自分で走ってもらうことに。
ヘルメットをかぶって、近くの公園で練習開始。
慎重派の息子は、ワクワクしながらも、おそるおそる乗り始めます。
息子「ちょっと、たかい」
私「だいじょうぶ、足つくから」
補助輪があっても、なんだかぐらぐら。
でもそのうちコツをつかんできて、割とスムーズにこげるようになりました。
息子「みて、おかあさん!みてみて!」
私「おー、すごいすごい」
息子はよく「みて!みてみて!」と言います。
私がそっちを見ていても、「まだみて!まだみて!」と言います。
目をそらしたり、別のことをしたら「みてないよ!さいごまでみて!」とプンプンします。
自転車をこぐ息子を眺めながら、ふと
「『みてみて』って言うの、いつまでだろう」
と思いました。
長男が園児である我が家には、それが小学生なのか、中学生なのか、まだ分かりません。
でも「みてみて!」という気持ちには、「親の愛情が自分に向けられているか確認したい」という気持ちがこめられているのかなと思います。
ある日「みてみて!」を言わなくなって、親はちょっと、さみしい思いをするのでしょう。
けれど、それはその子が持っている愛情のコップに、愛がなみなみと注がれたことを実感したしるしなのかもしれません。
息子「おかあさん!みてる?こっちみてる?」
私「はいはい、見てるよ。お母さんはずっと見てる」
あなたはきっと近いうち、親の手を離れる。
私が見ても見てなくても、自分の道を歩き始める。
でも親は、ずっと見てる。
家の中でも、遠くにいても、幼稚園でも社会人でも。
あなたの姿を、きっといつも目で、心で追うだろう。
こうして「みてみて」と追いかけられてばかりの日が、いつの間にか逆転するんだろうな。
息子「いっぱい、はしった!ぼく、がんばった!みてた?」
私「うん。いっぱい見てたよ。格好よかった。頑張ったね!」
まだ補助輪は取れていないから、少なくとも取れるまでは、親の役目はありそうだ。
親として見てあげられる間に、たくさんたくさん、見てあげよう。