こどもを注意することはあっても、感情的には怒らないやさしいお母さん。
こどもの気持ちを理解して、どんな時もそっと寄り添うやさしいお母さん。
それが私の理想のお母さんで、自分も絶対そうなるんだと思っていました。元々こども好きだったし、なれる自信もあったんです。でも、こどもが生まれてお母さんになった自分は、理想とは違っていました。
自分の気持ちに余裕がないと、“やさしいお母さん”になれない。慌ただしいこどもとの毎日に苛立ちを隠せなかったり、感情的になったり…、そんな“なりたくないお母さん”に自分がなっていることに気付くたび、自己嫌悪に陥ることも。
それでも、こどもとの生活は続きます。理想の“やさしいお母さん”になれるよう、これは母親修行なんだと思いながら心も体も無理をすることが当たり前になっていました。
そんなある日、肺炎を起こしてダウンした私。病院の先生から入院を勧められたけど、幼いこども(当時、小学1年・幼稚園年少)がいるから、と点滴通院で治療することに。
家に戻ったもののそんなすぐに治るはずもなく、激しい咳が止まらず、ろくに食事も寝ることもできず苦しい日々が続きました。
そんな衰弱しきった私を見た長男と次男は、心配そうに
「大丈夫?」「いつ治る?」
と何度も様子を伺いに来てくれました。
日頃私と言い合いになることも多々あるヤンチャな長男は、特に私を気遣ってくれているようでした。学校から帰ってくると真っ先に私が寝ている部屋に来ては、私の顔を心配そうに見ていました。
「寝てばかりでごめんね。」
そう私が言うと、長男は無言で私に手紙を差し出して、
「お願いやから、早く良くなって!」
と泣きながら私に抱きついてきました。どんなに私が激しく怒っても絶対に泣かない子が、わんわん声をあげて、体を震わせて泣いていました。
「うんうん。良くなるからね。ごめん…」
彼の優しさに触れ、こどもに心配させてしまっている情けなさもあり、抱き合いながら私もわんわん泣きました。そして感じました。こどもにとって一番うれしいのは、きっと、いつもお母さんが当たり前のように元気でいることなんだな、と。ガミガミ怒っても、元気なお母さんでいることでこどもに心の栄養を与えていたんだ、と気付きました。
それから、私の理想のお母さんは“元気なお母さん”になりました。親がこどもの健康を願うように、こどもも親の健康を本能的に望んでいることを知ったから。
イライラしてつい必要以上に怒って、言い過ぎてしまった自分にため息が出ることもあるけど、そんな時があってもいいんだ、と思えるようになりました。親と言えど私も人間。いつも天使のようにこどもにやさしくするのは難しい。
「さっきは言い過ぎたね。ごめん。」
こちらの気持ちが落ち着いた時に、こどもに謝ればいい。そう思えるようになったら、前よりこどもとの生活がラクになりました。そして私がこどもに謝るたび、私も親として少し成長できるような気がしています。
心が疲れたら、「ちょっと一人にさせて」宣言をしてその場を離れて好きな音楽を聞いたり、昔の写真を見たりして気分を変える。
体が疲れたら、ごはんを作らなきゃいけない時間だろうが、兄弟喧嘩してようが、「しんどいので寝ます」宣言をして横になって休む。
無理はしない。元気でいよう。
たまにイライラするのはしょうがない。
私らしくいよう。はつらつと。
こどもとの毎日を、元気に過ごせることが何よりも幸せだと思うから。